山﨑彩音
9月26日 新宿レッドクロス
【森内淳さんのSNSより】
山﨑彩音は基本的には暗くて深い内面の闇を泳いでいる。
だからこそ楽曲が生まれ、アーティストとして輝くのだが、
ファーストアルバム『METROPOLIS』はそこから一歩踏み込んで、
外の世界へアクセスしようとする姿をも描いた作品になった。
それは彼女の正直な気持ちの変化であり、
内面の変化がてらいなく歌に変換できたということは、アーティストとしての成長を意味する。

例えば彼女がアイドルで楽曲を職業作曲家・作詞家が作っていたら、
楽曲だけでは変化や成長には出会えない。
例えば彼女がメンヘラに開き直ったアーティストだとしても同じだ。
最近の新人は商業的な戦法を熟知しているので
意図的に(戦略的に)固定されたイメージから動かない場合も多々あるだけに、
アーティストイメージすら飛び超え、
自分の変化を表現に結び付けられている山﨑彩音は貴重な存在なのかもしれない。
今はまだギタ女的なものを求めて来るリスナーもいる。
しかしリスナーもオーディエンスも彼女の変化とともに見方を変えていくと思う。

そして昨日、新宿レッドクロスで2ヵ月ぶりに見た山﨑彩音もまた大きく変化していた。
以前、クロマニヨンズの甲本ヒロトが「ステージに立っている甲本ヒロトは何者かわからない」と言ったことがある。
そういう感覚はぼくにもあって「普段のヒロト」と「ステージで歌うヒロト」は、
ハヤタとウルトラマンのようにイコールでは結ばれない。

昨日の山﨑彩音のライブにもその片鱗を感じた。
正確にいうとそこに向かって歩を進めているように感じた。
ステージで歌う山﨑彩音は「普段の山﨑彩音」(便宜上「彩音ちゃん」と記す)とは違う人物のように映った。
顔つきが違う。内面から湧き出るものが違う。
山﨑彩音という「彩音ちゃんとは違う人格」を形成しはじめているような手応えがあった。
「アフターストーリーズ」や「世界の外のどこへでも」といった外の世界とコンタクトする楽曲と
「メェメェ羊とミルクチョコレイト」や「キキ」といった彼女の作品のなかでもヘビー級の楽曲を、
わずか30分の演奏時間のなかに同居させたのがそういう印象に導いたのかもしれない。
どっちも山﨑彩音、どっちも正解、答えはひとつじゃない。
彼女は『METROPOLIS』で示した「現在の気分」を
丁寧に折り込んで表現してみせたのだ。

バンドメンバーもそういう彼女の心情を若い感性で包み込み、寄り添い、
刻一刻と変化する19歳の女の子の心の物語として紡いでいく。
もしも彼らがおっさんのベテランミュージシャンだとこうはいかなかっただろう。
音楽性の違う曲を忠実に再現しただけのステージになったに違いない。
不在のキーボードのかわりにステージに立ったhotspringの狩野省吾のギターもよかった。
決して繊細じゃないけど感情のこもったギターによって
「メェメェ羊とミルクチョコレイト」や「キキ」の感情の棘がよりリアルに表現されていた。

10月27日には同じ新宿レッドクロスで
これまた才能に溢れた19歳のミュージシャン betcover!!と2マンライブをやる。